世界はワクワクで満ちている

昨年、三か月ほど「ファッション講座」というものを受講していた。この講座は三か月間自分のファッションをフェイスブックにアップすると、それについて評価およびフィードバックをしてもらえるというものだ。30人ほどのグループの中で皆が1人の師にコーディネートをフィードバックをしてもらう傍ら、それぞれ他人の投稿に思い思いのアドバイスをしたりする。初めて「ファッション講座」と聞く人は、優雅な娯楽かと思うかもしれない。けれど、全然違う。そういうのじゃない。優雅な娯楽と言うより、カウンセリングに近い。もっと言えば、ファッションを使った認知行動療法だった。わたしはファッション講座のオフ会で、それを確信したのだった。



「ワクワクすることをする」

それが、わたしの昨年暮れからのテーマだった。いや、テーマである。現在進行形なのだ。
その一つとして、ファッション講座を受講した。受講した理由には他にもあって、20代前半まで着ることができていたスカートが似合わなくなってきていたり、社会的にも立場が学生から急に先生へと変わったりして、何を着れば正解なのかわからなくなっていたということもある。けれど、義務感ではなく好奇心で講座を申しこんだのは確かだった。

わたしのワクワクすることは他にもあり、本職(歯科医師)に関係することで言うと「身体から歯を診ていくこと」であったりする。統合医療を学んだ結果、カイロプラクティックという整体に似た全身の調整や、食事に関する指導など様々なアプローチからお口の中の問題をみていくことができるようになり、患者さんが歯だけでなく全身的な健康に近づいていくお手伝いができることに対してワクワクするようになった。例えば虫歯が多発する方に歯を削って詰め物をするのではなく、「なぜ虫歯になったのか」という原因から探っていく。そこには歯磨きが上手ではなかったりと言った技術的な問題もしばし含まれるが、聞いてみると「お菓子がやめられない」という理由もあったりする。では、お菓子がやめられない理由は何なのだろうか。食事の量や仕方が間違っていて食欲を満たそうとしているのか、はたまた、食べることで孤独や不安を満たそうとしているのか。食事の量や仕方が間違っていないようであれば、結果的に「どういう気持ち」になれば、食と言うプロセスを経ることなく満たされて行けるのだろうか。そういうところまで聞いていく。そして、新たな手段を見つけていくお手伝いをするのだ。

これには食事指導だけでなく、精神的なアプローチも時に必要とすることがわかってきた。認知行動療法を学び、自分も実際にセッションと呼ばれるカウンセリングを受け、その人の「気持ち」にアプロ―チする方法を模索しているところだった。そのかたえで今回、「あ、ファッションを変えることは、精神的なアプローチの一手段としてめちゃめちゃ有効なんだな」と思ったのだ。



話は変わるが、「構造―感情―行動」この三つはリンクしている。構造とは、「顔や身体のかたち」のことだ。これにはメイクやファッションも含まれる。変えられない自分の骨格や、変えられるメイクやファッションも含めて、構造である。男性はどうか知らないが、女性には「こう見られたいからこういう服を選ぶ」という瞬間が絶対にある。それは試着室であったり、家のクローゼットの前であったりするし、こう見てほしい人が彼氏だったり、同性の友達だったり、上司だったりする。女性誌で毎号のように特集をやっている「○○見えコーデ」をはじめ「デートコーデ」「女子会コーデ」「お仕事コーデ」などと言うのはそういうことだ。女性はたいていどう見られたいかを考慮し、服と化粧を選んでいる。
なので、デートの時の服(構造)は彼氏に愛されたいという気持ち(感情)とリンクしており、それはデート時のふるまい(行動)にあらわれる。仕事帰りとか何かしら事情がないと、デートの時にスーツでは行かない。スーツはデートの時に求めている「感情と行動」にリンクする服ではないからだ。

このリンクしている三つのどこにアクセスしても、全部が影響を受けすべてが変わっていく。例えば感情(ネガティブ→ポジティブ)を変えれば行動は変わるし、構造(姿勢など)も変わる。行動(丁寧にあいさつをしてみる)を変えれば感情(余裕が生まれる)も変わるし、構造(顔や体の使いかた、しぐさ)も変わる。
これを利用して、虫歯になりやすい原因(行動)を感情から探っていったりもするのだけれど、ファッションを変えることはもっとダイレクトに「構造―感情―行動」に影響を及ぼしていた。



ファッション講座のオフ会は恵比寿のオシャレなフレンチ料理屋で開催された。わたしは仙川で個人セッションを受けてから行ったので、スタートより2時間ほど遅れて到着した。着いた瞬間、初めて会うのに、懐かしい人々に会ったような気分だった。皆が三か月を共に過ごした有志であり戦友だった。決してセンスのあるなしで誰かと競っていたわけではない。みな「昨日の自分」と戦っていたのだ。今日の自分が昨日の自分より素敵になるために。

自己紹介があった。ひな形があったわけではないが、戦友たちは講座に申し込んだ理由と感想、今後どうなっていきたいかを語った。衣食住を快適にしたいから申し込んだと語ったひともいたし、ファッションを楽しみたいひともいたし、自分を変えたいと思っていたひともいた。そして今後について語るとき、彼女たちはファッションアドバイザーとして仕事をしていきたい、現職を辞めてやりたいことに挑戦したい、参加することで自分の殻を破れた気がする、と口々に語った。

えっちょっと待って、と思った。わたしを含め、わたしたち、変わりすぎじゃない?と思うほど、みなファッション以外の一歩をなにかしら踏み出していた。

この三か月でわたしたちはファッションを変えただけなのに、全員がびっくりするほど前向きなエネルギーに満ちていたのだ。隣に座っていた女性が、花がほころぶような笑顔で言った。「この講座では本当に人を素敵にしたいって思いで、みんなコメントをしていたよね。善意しかなかった。」本当にその通りだった。「善く在りたい」ということは集まったこの有志の中で必ず共通する認識なのだと思った。

ファッションと言う構造にダイレクトにアプローチをする前に、わたしたちはどうありたいかについて考えた。「こう見られたい」「こういう自分でありたい」その目標を決めたうえで、その方法論を学び、コーディネートをしていった。フェイスブックのグループに、一着着ては投稿し、一着脱いでは投稿し、どう見えるのかについて議論しあった。ファッションにも理論はあるがそれはほんの少しで、最低限を抑えればあとは雰囲気やオーラ、生き方など総合的にそのひとに似合うかどうか、そのひとがどう見られたいかに値するものなのかどうかを語り合った。

こんなの、人生変わるに決まってんじゃん。オフ会に行くまで自分が変わった気はしなかったが、考えてみれば新しいひとの輪に入る敷居が低くなっていたり、この講座でインスピレーションを受けて患者さんに還元し始めたことなどがあった。三か月でファッションが洗練され、なりたい自分になる上で、感情も行動もついてきたのだ。自分にはできないと思い込んでいたこと、気後れしていたことを蹴散らしていく強さがファッションにはあった。ファッションは自己認識を変え、感情を変え、行動を変え、「なりたい自分」がやってみたかった「他のこと」への背中を押した。踏み出せなかった一歩が踏み出せるようになっていた。変化は急に訪れたわけではなく徐々に起こっていたので、これがファッションに起因するものだとは気づかなかったが、集まった有志の語る姿を見て「あーこれ原因は完全にこの講座じゃん」と確信した。そしてわたしたちはみな他人を素敵にすることで、自分も素敵になっていった。本当に良い「気」の循環する場所だった。

師は、多趣味なひとだった。今は歌舞伎にハマっているらしい。バレエを25年やっていたこともあったり、お茶をたしなんだこともあったり、社交ダンスや朗読を勉強したこともあるひとだった。オフ会の中で、余興として「日々是好日/森下典子」の前書きを朗読してくれた。「人生にはどんなに理解しようと思っても、その日が来るまでわからないことがある。けれど知ってしまったらもう知る前には戻れない」というフレーズが、いまのわたしに響いた言葉だった。このオフ会も、その前に受けていた個人セッションも、激しさをまとった核心に迫る大切な一縷の気づきを得た場だったからだ。誰かの書いた文章を声にのせるということ、ただ読むだけでなく、自分の感情と経験で文章を飲み込み理解しそのうえで再度自分の感情と経験を見つめなおさないと、こんなにもこころには響かないのだろうと思った。師は、そうして自分の感情を見据えることで、構造と行動を変えてきたのだろう。意図せずともそれは必然的に起こりうる。すべてはつながっていた。わたしたちはファッション講座に見せかけた認知行動療法を受けていた。そして人生が変わっていくと思った。必ず、善く在るように。



ワクワクすることは他にもたくさんある。
こうして文章を書いてみることもワクワクすることの一つだし、日の光を浴びたり海に潜ったりすることもワクワクする。オフ会が終わったあと大好きな同性の先輩にメールをして、ゴールデンウイークには海の綺麗なところで一緒にダイビングをする約束を取り付けた。きっとわたしはワクワクしながら洋服を選ぶだろう。その行動の端々で、きっと他のワクワクすることも見つけていけると思った。自分の可能性を信じて、できないことを素直に認めて、できることをもっと伸ばしていけると思った。

世界はワクワクで満ちている。

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